金沢から茅野の章(長野県茅野市金沢〜茅野市ちの)
青柳駅でガッツポーズ! 今日のサポート隊員は信州ステージおなじみ「エチゴ大帝」
一行は秋の中央線青柳駅にて大喜びの写真撮影。
信州ステージもかなりの長さですが終わりが見えてきました。
エチゴ氏橋を指さして大喜び エチゴ氏青柳駅前の宮川を見て大喜び!
ここは水害の多い土地だったのでしょう。
街道沿いの民家も人気がなくなってはや何十年昭和の異物がまた一つ
変わった民家がありますよ。蒔ストーブがあるようですね。
ログハウスは趣ありますね。
金沢の宿にはこんな昔ながらのタバコ屋さんがあります。
おばあちゃんが棲んでいるのだろうか?
こういう街角のタバコ屋は天然記念物ですね。
◎◆果樹園の方も最盛期!リンゴの香りが伝わってきます。
素晴らしい秋ですね。
宮川の水害で犠牲になった人達のお墓のようですね。
ここは宮川の暴れん坊は恐ろしいですね。
ここから金沢宿から離れます。
ここが茅野市指定史跡の「権現の森」なる社です。
エチゴ氏神妙に入場しています。
矢の口信号の所なのでわかりやすいですよ。
何でもこの金沢宿はかつては青柳宿と呼ばれ宿場は近所にあったそうですが洪水などの影響によって現在の位置に移動して「金沢」と改名したそうです。
この金山権現は武田信玄氏の金山があったからこういう名前で宮川から砂金が採れたから「金沢」なる地名がついたという伝説あるようですね。
エチゴ氏昭和の太古に閉鎖されたとおぼしきドライブインに大喜び!
お食事、喫茶、五平餅の時が空しく朽ち果てています。
国道
20
ROUTE
茅野市
金沢

国道おにぎりにてエチゴ大帝さらに大喜び!
そしておなじみ旧べ=旧道ベース探索(石和用語の基礎知識)
もはやみちはどこか分かりません。
田圃の中からこの辺唯一のセブンイレブンの裏側ですな。
甲州街道のドムドーラ(砂漠)のオアシス。
ここ信州長野県は「寒天の里」です。
この寒い田圃にさらすということで寒天というらしいです。
旧道ということで古い地蔵道祖神を発見。
畑の中の碑にエチゴ氏大喜び!
そしてこの旧道を遮る形でそびえ立つ「レインボー」ホテル。
特殊な上に目立ちまくり!
景観ぶちこわしの建物ですね。
そのホテルの裏側に小さな社を発見。
その名も「稚児神社」
特殊ホテルの裏に稚児神社???
なんか因縁めいていますねえ〜。
そして、その社の奥に一里塚のあとがありました。
その址も残念ながら移転した物のようです。
逆光ですが、これには「一里塚」と書いてあります。
しかしまあホント田舎ですなあ〜。
田舎道を進みます。
「木船」の信号です。
ここから国道20号線に戻りました。
偉大な指導者様の肖像画です。
木船入口のバス停です。アルピコグループ諏訪バスのバス停です。
ついでにビーナちゃんバスも走っていますが、実際にバスを見たことがありません。
そして、国道20号線の横断歩道を渡ります。
今では珍しく旗があります。
旗を振って旧道に突入だぜい。
エチゴ氏村はずれの曰くありげな石を見て大いに感動!
秋の一時はゆっくり流れます。
小規模な砂防堰堤床固工を発見!
砂防野郎は常に砂防の事を考えますねえ。
田圃の向こうにはおなじみAZUSAが走っていますね。
川が川が!
まだ護岸がありません〜。
早く護岸工をしなければならぬ。
あの先には天下の八ヶ岳!!
これこそは火山のやま。
火山砂防事業をすべし。
宮川のガードをくぐって旅は進みます。
エチゴ氏ガードをくぐりさらに進みます。
甲州道中こそは庵世界の世界そのものです。
車通りの多い所です。
気を付けて歩きましょう。
エチゴ氏曰く
「俺に任せておけ!」
水田にはこんなに偉い人達の看板があります。
エチゴ氏大喜び。
こういう看板が信州さを演出していますね。
サカイ創建は経営は大丈夫なのか???
というわけで宮川坂室の信号まで来ました。
宮川坂室の小高い丘の神社の境内から宮川坂室交差点を見下ろします。
きれいですねえ〜。
碑には明治時代の二大大戦の当時、國の為に戦死した。英霊達の為の碑があります。
いつの時代も母親が子を思う気持ちは同じです。
国道二〇号線茅野市宮川
宮川といえばTBS三大DJ
宮川賢
伊集院光
小沢昭一
の一人ですね。
というわけで茅野名物!
というより甲州街道最強名物
「総合食品 バナナ屋」
です。古来より「韮崎の鬼」氏が不思議に思っていた店です。
中は昭和が生きたまま保存されているような素晴らしいお店です。
魚もバナナも缶コーヒーも乾物も肉も売っているキングオブザ総合食品屋さん。
甲州街道庵世界ミシュランでは☆×5の最強店です。
エチゴ氏バナナ屋反対側のバス停兼防火水槽で一服
バナナ屋でのお買い物はこんな感じ。
ミカンにバナナに缶ジュース
マッチ束一二個入り。
あんカステラ!

最強にうまいぜー。

この明治生まれのおじいちゃんおばちゃんの田舎のうちに遊びに行ったときに食べさせてくれるごちそう的おやつがたまりません。
昭和40Sの香りが漂ってノスタルジーを感じますね(涙)
坂室バス停でバナナの記念撮影。
因みにバナナ屋の由来は、
戦後、店主が引き上げてきて、バナナ型の焼きカステラ菓子にあんこを入れて売り出して、近所の人がバナナ屋と呼んだのが由来なそうな。
別に、バナナそのものが由来という訳ではないそうです。
で、御菓子をいっぱい食べた我々は直後に焼き肉レストランの中に突入します。
カルビライスセットを平らげようとするエチゴ氏!
なかなかに美味しいお店でした。
隠れた名店とはここの事でしょうね。
さて、腹一杯になったので旅を続けます。
中央道の橋脚がきれいですね。
大阿原入り口の上に中央道が走っています。
愛ラブ中央道
東京から192km地点の茅野市宮川!
こんな所にこんな看板が朽ち果てています。
この店あるのかなあ?
新田中のバスですな。
歩いてここまで来ましたよ。
宮川の信号から右に曲がって旧べ=旧道ベースに戻ります。
また、偉大な指導者様が登場しています。
ブーデーでも政治家になれるんですね!!
「安西先生!補正予算を通したいです。」
茅野氏県道197号線こそが旧道なのですね。
西茅野入り口ですね。
この辺はもう町です。
かつて、明治天皇がここで休憩したという碑です。
もう、甲州街道沿線は明治天皇の庭ですなあ!
ふむふむ。確かに明治天皇の偉大な足跡が残されています。
エチゴ氏偉大な明治大帝の足跡を即席で確認。
三輪神社の様子ですね。
一般的な地方の神社であります。
江戸期の建築で茅野市準文化財
これが三輪神社の本堂です。
趣きありますねえ。
今度はお祭りに行きたいねえ。
ここが実に美味しいお味噌ショップ
漬け物、味噌と信州の名物を購入できます。
茅野中宿の看板です。
ここいらへんには貧乏神神社、おかめ神社など変わった神社があります。
江戸時代からの商家の氏神、屋敷神だったのでしょうか?
中宿ですけど甲州街道の正式な宿場ではなかったようです。
東京都世田谷区烏山(からすやま)と同じですね。
元帥陸軍大将子爵上原勇作書
の忠魂碑です。
実にこの地域からも明治の大戦で犠牲になった英霊が多かったのでしょうね。
色々ありますが、明治〜昭和の軍人の足跡もあるのが街道巡りです。
お約束の明治天皇の野立(野外茶会)の址です。
偉大な天皇の旅はホントにのんびりしていたんでしょうね。
というわけで一行も負けずに閉店間際の農協の販売所にてペットボトルのお茶を買いました。
これこそ一期一会の旅です。
こういう昭和の名残が残っているタバコ屋さんがノスタルジイをかき立てます。
ここに赤い公衆電話が置いてあって、松田◎作が電話をかけるシーンはそれこそ昭和50年代!
今や赤電話はありませんからねえ。
浅川菓子店です。
串団子に、大福が美味しそうですね。
たまりません。
趣ある古風な理髪店の様子 これこそ甲州街道最大最強美容店。
「男子美容専科モリヤ」
この昭和30年代臭さがたまりません!
しかも営業しています。
このようなクラシックの建築様式は今やそう簡単には見つかりません。
上川橋欄干の様子 上川橋を渡河して茅野市茅野町地内に突入します。!
茅野はホントに都会ですなあ!
エチゴ氏。
茅野市ちの町の信号まで来て店を仰いでいます。
「これこそ茅野なのだ!」
駅前通りを進みます。
いまは工事中で区画整理が進んでいますねえ。
「清水と古跡の小路」
しゃれています。
つぶれたレコード店に残ったポスター!
このお方は・・・。
2ndアルバム「完全犯罪」の当時です。
それは2001年。
A D-backsが優勝して世界同時多発テロが起きて、「always」歌い回っていた頃ですね。
未だ庵世界も前史時代でした。
そんな昔の想い出のポスター。
最近区画整理で移転になった地元八十二銀行の茅野駅前支店です。
この辺りはここしか銀行ないようでした。
八の日通りとの交差点には湖や川の魚(淡水魚)専門のお店がありました。
丸平川魚店
ウナギに川魚がたまりません!
美味しい佃煮を買いましょう。
そして、茅野駅前には古墳の址があります。
その名も「姥塚古墳」
昔は田圃の中にあったとのこと駅が出来て取り壊しですね。
それにしても茅野駅ビルは寂れ指数MAX。
電車もほとんど来ないこのエリア。
やばいですな。

という訳で次回は下諏訪温泉今日巡り!
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