ふるさと烏山商店街の章(東京都杉並区、世田谷区)
ここは杉並区上高井戸一丁目である。
後方の橋は環状八号線の高井戸陸橋である。
旅はますます快調に進んでいるようです。
そして旧甲州街道と国道20号線に分かれているところであります。
書生は今回左:旧甲州街道を探索することに致し申した。
左:旧甲州街道
右:国道20号線

杉並区上高井戸の一時であります。
旧甲州街道に入って見ました。
うーむ、確かにここは杉並区上高井戸何ですね。
なんと、近所の農産物を販売する無人野菜スタンドがあります。
ここ杉並世田谷は畑を大事にしているようです。
生産緑地農家は大切にしましょう。
世田谷区再突入(世田谷区烏山)
京王線芦花公園駅のここの本屋から世田谷区に再突入致します。
中学生高校生時代に良く来ました。
写真は世田谷区立烏山下宿広場です。
楽しい広場ですね。
町田歯科の看板南烏山3-2デス。
実に世田谷区らしい一コマですね。
後藤たばこ店
丸実ストア
昭和の想い出を出させてくれる素晴らしいお店
と言うわけで烏山は甲州街道の正式な宿場ではないようですが、一応宿場っぽくなっていたようです。バス停には烏山「下宿」と言うバス停がありますね。
その後ろには街道お約束特殊なホテルが建っています。(笑)
入り口はこんな感じ、やっぱり特殊なホテルですね。
そのホテルの横にはこんな遺跡がおいてあります。
「武州烏山村大橋場の跡」
これは一体何の跡なのでしょうか????
ちょっと視点を変えてみますとお墓とお地蔵さんがありますね。
???
橋→この単語から想像できるにこの下は地下川となった烏山川・・・。
そして、特殊ホテルとこの厳重な慰霊碑の数は・・・。村はずれ。となると何かただならぬ気配を感じ候。
ここは烏山小学校創立130周年記念で立てた碑です。
まあとにかくここは江戸時代の村と外のトワイライトゾーンだったようですね。
となればいろんな事があったでしょう。
烏山が宿駅として発展が遅かった事とも関連しているのかもしれません。

引用
世田谷百景「旧甲州街道の道筋」
切り絵、後藤伸行さん作

南烏山から給田へと続くこの道は、かつての甲州街道です。
昔の街道筋を偲ばせる風景はほとんど残っていませんが、この道筋そのものが街道であったことを忘れるわけにはいきません。
道の由来を知れば、その時代、時代の道筋を脳裏に浮かべることも出来ます。
そんでもって中宿に到着しました。
やっと町らしくなってきましたよ。
区立烏山りんれい公園にて一服の国分寺元帥。
東京方面を主に担当する元帥閣下は昭和57年当時烏山方面で迷子になったという、故事を元に
石和の庵神話の幕開けを執筆していただいてます。
早稲田アカデ●ー
御三家
早慶
何でも来い!

中学高校を受験するための予備校です。
国分寺元帥曰く、受験キャリアで一番きつかったのは中学受験(大失敗)だったと。
この烏山中宿から北には寺町というお寺の多いとおりがあります。
平成初旬の国分寺元帥閣下は自転車にて良く探検して、甲州街道沿線で買い食いして遊びほうけていたようです。

現在になっても、バイク君で甲州街道を走って白州や茅野で買い食いをしている閣下には大した進歩がありませんね。
進歩のない閣下、最後はラーメン屋で一服です。
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