続・ふるさと烏山商店街
国分寺元帥閣下が昭和50年代後半とから平成6年まで過ごしたこの町。記憶と共にこの町は生き続けている。
昭和57年初夏、5歳の閣下は自転車でこの町を訪れ、どういう訳かさらに西へ向かおうとした。だが、仙川のほとりで家に帰ることが出来なくなった事に気がつき大泣きしていたところを警察に収容されたという。
少年がそのとき見たのは国道ではなく、自分の人生と引き返す事の出来ない過去だったのか。


今日の旅は京王線烏山からスタートします。烏山の地下にはこんな秘密基地みたいな駐輪場がありますね。
国分寺元帥閣下はかつてここに自転車をおいて近所を荒らし回ったとか・・・。
世田谷区役所烏山支所です。ここはかつての村役場だったに違いありません、
現在は某集団の拠点にしているマンションがあるとかでなかなか大変のようです。

ここが烏山駅前の旧甲州街道、実に狭い道ですが、コンクリートミキサー車が走っていますどうして? 和御菓子の「甘露庵」くず餅が最高です。
電話番号03-3308-3806
写真のモデルのお年寄りはここでお買い物したようです。
関東バス西烏山のバス停です。ここ烏山は北世田谷の交通の要。バスターミナルだってあるんですよ。
いわば、世田谷区で持っとも山梨の香りがする地区ですね。
うぬう!コンクリートミキサー車が多いと思ったらこんな所にコンクリ工場があったのか。
関東バスとコンクリート工場です。
実はこのコンクリ屋さん。国分寺元帥閣下の小中高学校の先輩の実家だったりするんですよね。
かつての甲州街道はのんびりした住宅街に変貌しています。

仙川を渡河します。国分寺元帥閣下はこの下流の地点の小学校に通っていました。桜がきれいだったのを良く覚えています。
そんな景色を覚えていたのかクラスの同級生が「桜独唱」を発表していました。
さて、旧道から国道20号線に戻ってきました。旅はふるさとから調布市に突入です。
昭和57年に国分寺元帥が迷子で収容されたのはこのあたりらしいです。
特に左の橋は良く覚えているとのこと。
そんな閣下も25年経ってもバイクに乗って甲州街道を荒らし回っています。ホント進歩のないかたですな。
次回予告:小学生時代の想い出を胸に駆け抜けろ調布市内(国領、下布田、上布田)そして浪人時代の府中へ向かう国分寺元帥、だがそこで待っていたものは?
ふるさと烏山商店街に戻る 宿駅一覧表 調布市仙川駅から国領駅