甲府宿〜韮崎宿の章 (貢川竜王彷徨編) 山梨県甲府市、山梨県甲斐市 |
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荒川を渡河して、今度は貢川を渡河します。写真は甲府中心方面を振り返っている図。 貢川の看板と左の茶色の建物は仕出しお弁当の「やまと」さん。 500円でボリュームのある弁当が食べられます。 |
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上石田町のバス停には「古麻樹」なる珈琲屋さんがあります。なかなか趣のあるお店ですね。 | ||
上石田っ子御用達の店おもちゃの「マルちゃん」。 この町にはまだ、おもちゃやさんが残っているんですね。 後継者不足に悩んでいるのはブドウ農家と一緒。 |
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道を歩いているとこんなクラシックカーが置いてありました。よく見ると売り物。価格は¥200,000 ポンカー評論家としては放ってはおけないお宝でしょう。 でもあちこち錆びているから直すのに相当お金がいるでしょうな。 ところでこの車いつの時代のなんて名前の車種なんでしょうか?デザイン的には昭和40年代前半から中期にかけてあたりの自動車と思われます。 |
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回転回転回転開店休業?のホリエモンの「生きた扉」系列の中古自動車やさん。 大将がいなくなった会社は崩壊し解体され買いたい人に切り売りされていく運命にあるようです。 |
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道を歩いていたら駐車場のところに碑がありました。 甲府市はこういった碑を置いてくれるのは良いですけど字が消えていたりして読みにくいことが多いです。 (由来)旧貢川村は明治維新以前は幕府の直轄地で市川代官の支配にあった。 明治八年上石田、徳行、富竹、龍王、下河原の四ヶ村が合併して貢川村と改める。 上石田村へ流れる貢川を古くは工川と書いた。 |
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諏訪まで63km 韮崎まで12km ここからの甲州街道は宿場の数が激減するので取材がかなり困難になるゾーンです。 韮崎まで歩いて3時間、終電がなくなったあと甲府から3時間歩いたという伝説の人物がいます。 |
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前田橋南詰め信号の「たこや食堂」です。一応のれんが掛かっているので営業はしている様子が確認できますが果たしてどんな食べ物を食べられるのでしょうか? 誰か体験レポート求む! |
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山梨県立文学館と山梨県立美術館です。美術館にはミレーの名画が収蔵されていたりする、凄いところです。 | ||
ここは旧甲州街道ですが国道で言うと「52」号線起点は静岡県静岡市清水区とのことあと92kmでいけます。 | ||
「手作り和菓子の大野」というお店です。甲州街道沿いには多くの和菓子屋さんが今でも残っていますね。 早速入店し春向けの和菓子をチェックします。 |
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熟慮の結果草餅と大福という似たような御菓子を買ってしまいました。 和菓子はおいしいですな。 |
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ついに甲府市を抜け甲斐市に入ります。 甲斐市は2004年9月に誕生した市で中巨摩郡竜王町、中巨摩郡敷島町、北巨摩郡双葉町の3つが統合して誕生しました。 特に「大中巨摩郡」建設とかそういうものではありません。 後ろの高架は中央自動車道です。 |
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果てしなく道は続いています。この日は暖かかったのでもう歩くのイヤになってきました。 | ||
「うな竹」なるウナギ屋です。鰻重評論家先生方はどういった評価をしているのでしょうか? 今度食べに入ってみます。 |
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竜王社会保険事務所です。経営者の皆さん社会保険には必ず入りましょう。 それにしても雇用保険、健康保険や年金、児童手当拠出金など給与以外に事業主が負担する額の多いこと、会社を起業する皆さん人件費は相当なものです。 |
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ここ甲斐市にも「名取温泉」なる温泉があるようです。 この日は風呂道具を用意していなかったので通過しました。 |
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国道52号線竜王新町の信号は右折します。どうやら一番古い甲州街道はここのようです。 写真左手が甲府方面、右手が竜王立体(国道20号)です。 |
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夕日に照らされてなんだか幻想的な景色です。 甲斐市竜王新町の一角です。 |
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竜王新町下宿道祖神場 ここは江戸時代の寄り合い場だったとのこと ここを中心に、冠婚葬祭が民主的に行われていたらしいです。ということは竜王にも宿場があったということですね。 |
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右の写真が上で記述した道祖神。 丸いですね。 |
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称念寺に到着。しかし、工事中な上に逆光で何がなんだかよく分からない写真になりました。 | ||
踏切の名前を見ると「第一信州往還」と書いてあります。この道が信州に続いている証拠となります。 次回は韮崎までたどり着くことが出来るでしょうか? |
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