黒野田の章(山梨県大月市笹子町)
我々はついに甲州道中最大難関笹子峠を越えることに挑戦
今回のサポート隊員は「Mr超過勤務」
今回の旅は黒野田〜鶴瀬の間という峠越えだ!

左:スタート直後から笹子餅を買う我ら。
写真の奥には隣の宿場「阿弥陀海道」が見え笹一酒造も見える。写真は「Mr超過勤務」

名物のあんころ餅、90年代前半は各駅停車車内でも販売していた。現在は大月駅、談合坂SA、初狩PA等で購入可能。
駅前のここの販売店で買うことはきわめてまれ。
買い物に行ったらおばちゃんにかなり怪しまれた。
黒野田の宿場に行くにはJR中央線笹子駅がおすすめ。しかし、特別急行かいじ、あずさは共に停車しませんので高尾駅から各駅停車をご利用下さい。なお無人駅、スイカ利用可能です。
かつての宿場一の雑貨屋さんも今はひっそりと営業しているだけ、たばこと塩なんか地方税が入るので未だに売っています。そのうち店全部の商品を買い占めてみたいです。
江戸時代に作られた。石の像。何でも重税に耐えかねた人たちが起こした一揆と関係があるようです。
でもよく分かりません。
古い黒野田橋を渡りました。
黒野田の宿場町最大の寺院「普明禅院」です。行き倒れになった人とか埋葬されているのかもしれません。
日本橋から25里つまり100qということです。
国道20号線100qポストはもう少し手前初狩にあります。
伝説の白樺食堂
つぶれたドライブインの多い笹子追分で営業する唯一の食堂。昼食のみ、日曜日休みなので凡人は食べられない。
97年当時おじいちゃんとおばあちゃんの二人で営業。
焼き肉定食がおすすめ。
「いきなり黄金伝説」松本〜東京マラソンにスポンサーになっていた。
03年3月現在営業確認済み。おじいちゃんとおばあちゃんではなかった。
05年10月現在営業していると思われる。
笹子鉱泉
道路ガイドにはでているが、まず入れない。実体は追分けの下宿アパートの共同風呂らしい、
入り方は白樺食堂で昼食を食べて、おじいちゃんのご機嫌を伺って入って良いかと聴くらしい。
誰か入浴レポート下さい。
笹子のファミリーマート。
コンビニ不毛地帯大月市笹子地区に98年に出来たコンビニ。
巨大な駐車場が特徴。
この正体は白樺食堂と最後まで生き残りを賭けた食堂。
オープニングスタッフは夜間1000円/時だった。(写真)くつろぐMr超過勤務
ここから左に入ると旧甲州街道「笹子峠」
右に行くと新笹子トンネルという昭和30年代開通した国道のトンネルがあります。
もちろん今回は峠越えを目指して左に進みます。
ここの集落は「追分」といいます。昭和の終わり頃までここらのうちで伝統的な人形浄瑠璃笹子追分け人形劇なるものがやっていたようですが、平成に入ってからは後継者不足らしくなかなか見る機会はないようです。

左:かつての路線バスが朽ち果てるままに野ざらしとなっています。
追分を過ぎると鬱蒼とした林の中を歩きます。
大月の林務事務所が管轄している林という事で看板がでています。
左に進むと矢立の杉

右は笹子駅

こんな看板が立っているのでここが甲州街道ということが分かります。
ついには道路もなくなり登山道を歩くことになりました。
左:偉大な将軍様も疲れています。

雨の中旧甲州街道を歩くといつの間にか登山になっています。
明治天皇がここで野外茶会を催したという碑が残っています。
どうもここにははるか昔家が建っていたようです。

将軍様も明治天皇に負けず。「生茶」飲みました。

明治天皇伝説もはるか昔となりました。
もう甲州街道なんて存在しません。登山道が川に押し流されているだけです。
矢立の杉到着!
源頼朝も矢を打ち込んだとか言う杉です。とにかく大きい!
ついに笹子隧道にまできました。このトンネルのおかげで甲州街道は再びメインルートになったそうです。それも昭和13年頃の話。
Mr超過勤務も大喜び
丁寧にトンネル掘削のお話がでています。
今回は江戸時代を振り返ると言うことで、隧道も使わずに笹子の峠を越えることにしました。
今までにない過酷な山道
大和村と大月市の間、笹子峠の頂点に達しました。
かなりの登山でした。
ここから山梨百名山笹子雁腹摺山まで1時間らしいですが登山マニアではないので速やかに大和村方面に下山しました。
実際国道20号線を走っているとこんな感じで新笹子トンネルの入り口が開いています。
一般国道としては信じられないくらいの超大トンネルです。
笹子トンネル内の丁度真ん中大月市と甲州市(旧大和村)の境です。
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