第29宿場「浜松」の章 | ||
撮影日 | 2015年9月20日 | |
サポート隊員 | 人力二号 | |
浜松市中区 | ||
あらすじ:ここは徳川の本居地。武田圏内から敵地へ。 |
||
![]() |
静岡県最大の都市であり遠江最大の宿場浜松宿に突入。 ここは旧掛塚街道の入口 |
|
![]() |
浜松のセントラル地域に入るにつれて雲行き非常に怪しく。 | |
![]() |
馬込橋で馬込川を渡る時には雨一歩手前。 | |
![]() |
浜松は巨大な町ですなあ。 | |
![]() |
アクトタワーがそびえたちます。 さすが静岡県最大の都市。 |
|
![]() |
近未来的な大通り。 | |
![]() |
そしてイカシタ公園。アクト通り | |
![]() |
単線の遠州鉄道もここでは高架。 | |
![]() |
商店街もそこそこはやっています。 | |
![]() |
大手通を左折して浜松を抜けます。 | |
![]() |
この辺が浜松の宿場とのこと | |
![]() |
佐藤本陣がここにあったとのこと・・・・・。 フムフム・・・・・。 賢い読者諸兄はもうお分かりでしょう。 あのイベントがあったということですな。 |
|
![]() |
そしてここが浜松市役所中区役所です。 いわゆる武田軍と死闘を繰り広げていた頃の。徳川家康の本拠地 |
|
![]() |
そしてここが浜松城。 家康公が本拠地です。 静岡市は武田側、浜松市は徳川側 東海道を旅すると静岡県東西の対立軸が判る気がします。 |
|
![]() |
発掘中の浜松城。 全ては対武田の防御が目的です。 |
|
![]() |
横断歩道の無い浜松の交差点は意外と不便です。 伝馬町の地下歩道です。 |
|
![]() |
浜松中心街を抜けて通り過ぎていきます。 | |
![]() |
浜松はスズキの企業城下町でしたね。 | |
![]() |
豊橋まで37キロ | |
浜松市南区 | ||
![]() |
南区に入ってからは道は平坦。 快調に進みます。 |
|
![]() |
江戸より66里の一里塚跡。 | |
![]() |
国道257号線が東海道です。 丸亀製麺釜揚げうどんを食べて元気回復。 |
|
![]() |
これが地元の遠鉄バス若林のバス停です。 | |
![]() |
ここにも諏訪神社あるんですねええ。 | |
![]() |
浜松市増楽町です。 もちろん歩道橋=小学校があります。 可美小学校です。 |
|
![]() |
ここは高塚東のバス停 | |
![]() |
麦飯長者跡の看板。 ここのおうちが困った旅人に麦飯を振舞っていたからこのような看板があるとのこと。 いいお金の使いかたですね。 |
|
![]() |
ここは高塚のバス停。 舞阪まで7キロ。 |
|
![]() |
ここで旧道に突入です。 | |
浜松市西区 | ||
![]() |
ここが立場本陣の跡とのこと、宿場の間の休憩施設。 | |
![]() |
この家が一里塚跡です。 看板も立てているのですね。 |
|
![]() |
県道316号線を飛ばします。 この辺りは勾配無しのサイクリングストレスゼロゾーン。 |
|
![]() |
浜松信用金庫がいい味出しています。 | |
![]() |
神社で一休み。 神明宮というところ |
|
![]() |
石の鳥居は文化13年 1816年の年号が。 ナポレオンが完全失脚した頃のお話ですね。 |
|
![]() |
人力号も気合入っています。 | |
![]() |
春日神社をすっ飛ばして。 | |
![]() |
県道49号線を進みます。 | |
![]() |
そして舞阪の宿が見えてきましたね。 | |
![]() |
舞阪の今切れのモニュメントが! | |
![]() |
広重の浮世絵の銅版が53次あります。 これは「荒井」 |
|
![]() |
これは「吉田」 | |
第28宿見付に戻る | 東海道宿駅一覧表 | 第30宿場舞阪へ進む |
次回予告:シラスの産地舞阪はのんびり |