第13宿場「原」の章
撮影日 2015年3月8日
サポート隊員 人力二号、エチゴ氏、人力号改
静岡県富士市
原宿の宿場内公開は2020年現在未定
富士市中柏原新田
本日は晴天と言うことで東田子の浦駅に集合。
この駅から東海道は富士市内に突入です。
ここからはじめたのはほんの気まぐれ。
出撃前の打ち合わせ風景(やらせ)
左:エチゴ氏
右:修羅師匠
本日のテーマは「津波・高潮災害」と「地すべり災害」
エチゴ氏やる気満々!クラシックカーを横目に進みます。
まずは駿河湾を拝みます。
堤防が高いですね。
とはいえ津波には注意!
エチゴ氏の指差す方向が今日のゴール興津方面です。
エチゴ氏間の宿の本陣を発見!
さりげなく標高8.4mです。20mの津波が来たらひとたまりもありません。
増田平四郎氏が江戸時代末期に水害に苦しむこの地に大排水路をつくり、土地改良をしようとした。
しかし、着工してすぐに高波で跡形もなくなった。
許可は韮山代官所、資金源は身延山久遠寺(山梨県)とのこと。
それが、その後昭和時代に作られた大放水路。
ちなみに一里塚も兼ねています。
旧道は左へ
なんかいい感じに寂れたおうちが。
昭和30年代から40年代中盤の様式でしょうか?
どこかで見たことありますね。
エチゴ氏水準点を見つけて大喜び。
旧東海道静岡県道170号線を進みます。
宿場最初の吉原
妙法寺なるお寺の前の宿屋です。
このあたりが吉原宿の最初のエリアとのこと。
1639年に移転したようです。
なぜ移転したかって?
このページに色々ヒントがあります。
毘沙門天妙法寺静岡県富士市今井2丁目に到着
なにやら普通のお寺と違う雰囲気が。
面白い感じです。
古いガソリンスタンドがありました。
かつての吉原宿を離れて進みます。
エチゴ氏やる気満々。
ここは日本製紙の富士川工場があります。
うわさに違わず息苦しさを感じました。
沼川を渡ります。
川に船がたくさん停泊しています。
エチゴ氏工場横を走ります。ここは工業都市富士なんです。
宿場二度目の吉原
このあたりに先ほどの津波から移転した宿場がありました・・・。
しかし!1680年に津波か高潮で再度内陸に移動しました。
その上ルート変更で内陸部を回り道するようになっています。
したがって、吉原宿はもう少し先です。
サークルKでマスク購入。
工業都市富士の空気は自転車移動者にはつらいものがあります。
とはいえ、数十年前に比べればだいぶ改善したとのこと。
エチゴ氏黙々と進みます。
エチゴ氏の指す方向には富士山がありますが、本日は見えません。
浮世絵のスポットですが、工場の屋根で何も見えません。
碑がたっています。
左が現在、右が江戸時代です。
エチゴ氏ポーズも決めています
浮世絵ポイントの裏はガラス窓工場があります。
たくさんガラス原料がおいてありました。
平家越え橋といいます。ここで平安時代後期の1180年11月9日に源頼朝、武田信義と平維盛が戦った合戦です。
甲斐源氏中心の源氏と平維盛率いる平家の一戦ですが、平家の遠征軍は撤退をしたのとのこと。

ここは山梨県から最も近い静岡県沿岸部なんですよね。遠征も楽だったでしょう。
伝説ではこのような鳥の羽音に驚いて撤退したといわれます。
エチゴ氏平安の兵士を偲び驚いています。
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次回予告:津波・高潮で二回も移動した吉原。ついに到着。