犬目宿の章(山梨県上野原市〜山梨県大月市) | |||||||||||||||||
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犬目と見せかけていきなりネコの歓迎を受けました。ここは「猫目」の宿に何時からなったのでしょうか? | 犬目宿はホント行き止まりの宿なので道路は狭く往時の様子を残していますが、やはり明治時代に大火に遭ったようですね。 | おなじみの庚申塔ですね。 何にせよ手入れが出来ていてよろしい感じです。 |
山日YBSラジオの送信塔のようです。 もう一つは後述の旧双葉町編で見てください。こちらは山梨県の東部を網羅していますが東京方面には送信していません |
これより甲州街道 「犬目宿」 |
バス停富士急行バス犬目の「下宿」バス停です。 一日になんと上野原駅に4本行くことが分かりました。少ないですな。 |
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上野原の教育委員会は優秀ですね。 甲州街道犬目宿の案内板を立ててくれています。 |
ついでに石碑「犬目宿旧甲州街道」なんてあり、至れり尽くせりですね。 | ここが1833年頃飢饉の時一揆を首謀した犬目平助の生家ということです。 一揆の後日本各地を回って実は晩年犬目にこっそり帰っていたらしいです。 |
明治天皇御小休所址 所謂犬目宿の本陣なんでしょう。 |
Mr超過勤務氏「犬目」バス停で歓喜の記念撮影を行います。 | 龍澤山宝勝寺というお寺犬目宿の一番のお寺のようです。 | ||||||||||||
空一文字意味は一体? それとも宝なのか? |
その珠の脇から犬目宿が終わります。 さあ、歩き回ろうぜ! |
甲州街道史跡案内図があるので便利です。 さすが上野原町教育委員会。 |
先ほどのところが「平助出生の地」犬目宿です。 『ねこのめにあらぬ犬目の宿に来て腹の時斗くる昼過ぎ』なんて書いてありますよ(笑) |
ハンターの皆さんに撃ち殺されないようにしないとね。 山梨県さんありがとう |
恋塚の一里塚です。 山梨県内でも一里塚が残っているところがあったんですな。 Mr超過勤務大喜び。 |
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なぜか分かりませんが道ばたにある墓には「聖徳太子」と書いてあります。 なぞですなあ。 |
道は山奥に続いているようですね。 桜の木がきれいですよ。 |
ここは江戸時代の石畳みたいな気がしますね。 歴史を感じますよ。 |
江戸時代の舗装道路というわけで当時の道路特別会計からまかなわれていたのでしょう? | ここまで歩いてついに大月市の看板が見えてきました。 | そしてさらば上野原市! | ||||||||||||
山梨県大月市突入編 | |||||||||||||||||
大月市突入直後から森の中を進みます。 大月市とは甲州街道沿線でかなり面白くない市デスよ。 |
大月市名物不法投棄です。 県の不法投棄監視室に通報しちゃいますよ。 |
こんな斜面に馬頭観音の碑があります。 ここが昔の甲州街道だったらしいですね。 |
ここは大月市富浜町鳥沢の山奥です。 「山谷」なるバス停がありました。因みに上野原方面とはつながっていませんここが終点です。 |
久しぶりに民家を発見しました。 | キャッシング、イメージはなべおさみ 一体何時の看板でしょうか? 今つながるのかなこの電話番号・・・・。 |
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電話番号が異様に長いこの看板贈り物ハリカ上野原店。 まだ存在しているのか? 看板から考えると25年はこえているね。 |
こちらは最近の看板ですね。 結婚だ、家のリフォームだとありますが、この山奥にどういう人向けの看板なのでしょうか? |
一日バスが3本も来る中野神社のバス停ですよ。 | 道は麓に向けて進みます。 | 中央自動車道の橋脚の大きさに圧倒されますな。ここは「中野」 渋滞の名所中野トンネルの真下ですよ。 |
近くで見るとでかいよー! | ||||||||||||
次回予告 | |||||||||||||||||
証券貯蓄センター「第一証券」吉田支店、富士吉田市とのこと、何時の看板なのだろうか? | 国道20号線に戻ってきました。 Mr超過勤務大喜びです。 |
ついに鳥沢に突入。 一行大月を横断出来るか? |
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