第51宿石部の章
撮影日 2012年7月8日
サポート隊員 エチゴ氏+Mr.人力二輪
滋賀県湖南市
前回のあらすじ

炎天下水口宿をぬけ、横田の渡しを越え、一行は田楽の地、石部宿にたどり着いた。

これより石部宿。
張り切っていきます。
石部はこんな様子。
張り切ってバリバリ行きたいところですが、炎天下の行軍で水分がほしくなりました。よって、街道脇の喫茶店で休憩。
ちなみに気象統計によるとこの日の気温℃25.6とのこと
めったに飲まないアイスコーヒーを堪能した後、石部宿を探検。急傾地域がありました。
街角で発見。石部の方々で見かけたポスターです。湖南市政は大変なようです。
旧道の交通事情は一筋縄ではいきません。
交差点に高札場跡があります。
石部の高札場跡は情報豊富ですね。
水口から長距離航行中のMr.人力二輪、高札場跡で休憩中。
高札場跡は、四阿もあるので休憩にはもってこいです。
しばし進んだところで、五十三次の浮世絵発見。
かつて石部には62軒も旅籠があったそうです。
こちら本陣跡。そして、おなじみ大帝御幸の碑。
江戸時代の様子はこんな感じ。梁とか似てるかも。
ここが、噂の石部宿名物である田楽が食べられるお茶屋です。
しかし、悲劇!訪問時はお休み中。今回は田楽のために来たといっても過言ではないのに。もはや意気阻喪。
(後日、お茶屋に再度訪問しましたが、やはり休み。悲劇は繰り返す。)
お茶やの脇には、石部の田楽の案内看板があります。
ギブアップするにしても、中途半端な位置なので、先に進むことにします。
本日の天気。
素晴らしい青空ですが、おかげで体からの水分流出激しいですね。
宿場のはずれの広場に、五十三次を示した石碑がありました。御影石製で豪華ですね。
広場周辺はこんな風景。
西縄手と呼ばれるところで、昔は松並木があったとか。
旧道から見える、建設中(取材時点現在)の石部大橋。国道1号のバイパス道路ですね。
西縄手から先は、概ねこのような道。今は工場が目立ちますが、往時は農地か荒地だったのでしょう。
名神高速の下をくぐります。
湖南市はここまで。
滋賀県栗東市
途中で発見、年代物の看板たち。
東芝リンクストアは今もあるのでしょうか。
キンチョールは今でもありますね。
もう一つ看板。嫁入り衣装は草津の大石呉服店でどうぞ。
街道脇の岩上神社。参道の並木がいい雰囲気です。
続いてこちらは、街道からやや外れた位置にある新善光寺。善光寺マニアは必見です。
国指定名勝 大角氏庭園。噂の庭園は見学できるのかもしれませんが、訪問時はシャタード。
植え込み内で存在を主張している六地蔵一里塚跡。となりの石版は、梅の木で有名だった近隣の立て場を解説。
酒屋 清右衛門。こういった看板類は、どこかの補助金事業なのでしょうか?
道中で唐突に出てきた、子午線の標柱。ジャスト東経136度。
移動中目に入ったもの。かなり遠くからでもわかるランドマークですね。
台風などで倒れないか心配になります。
東海道 すずめ茶屋跡。残念ながら左端で看板が切れました。
看板はこれ。水道の量水器があるとところを見ると、敷地の空きスペースに強引に看板と標柱を設置したようですね。
九代将軍 足利義尚が陣を張ったところ。
街道や宿場とは直接関係ありませんが。この辺は、江戸以前からメインの交通路だったのでしょう。
狭い道ながら交通量の多い場所。東海道と中山道が交錯している様子。通行の際は、ぜひ交通安全で。
六地蔵の次の一里塚。往時はむくの木の大木が生えていたそうな。
公共の茶屋跡地。幕府設置の休憩所だそうです。
名物の田楽はめがわ田楽というそうです。
足湯と酒屋発見。一杯やりながら足湯を堪能したいところですが、陽が暮れつつあるため、先を急ぎます。
次の宿場、草津まではもうすぐ。
滋賀県草津市
バス停東草津前にて。
丸ポストのうえに茶色。渋すぎますね。
草津宿のランドマークの道標。草津は目前。
東海道と中山道の分岐点。これより先草津の宿場。
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次回予告:長距離走破の末、草津の宿場へ到着。草津で名物うばがもち入手成るか?