第44宿場「石薬師」の章
撮影日 2013年11月23日
サポート隊員 Mr.人力二輪
三重県鈴鹿市
前回のあらすじ

四日市の杖衝坂で苦闘し、国道横断に辟易した一行は、一路石薬師の宿へと進んだ。
ここから石薬師の宿。
陽の角度的に逆光ですが、自然のことゆえご勘弁。なお、避難場所は石薬師小学校です。
石薬師の宿場入口には、標柱と「信綱かるた」の案内板。佐佐木信綱氏にゆかりのあるものだとか。
ちなみに佐佐木氏は明治〜昭和の歌人で、お侍さんではありません。
看板詳細はこちら。
信綱かるた、前面に押し出す石薬師。
街道案内も忘れてません。
入口付近にある四阿。素晴らしく手入れが行き届いています。
秋の午後などは、こんなところでゆっくりしたいですが、街道ウォーカーは先に進みます。
四阿から先が、本格的に宿場です。
そこかしこに信綱かるたの影が。
宿場の中は、今は普通の住宅街ですね。
電柱を見ると、地名はずばり石薬師町。なお、加佐登は最寄の国鉄駅。
在りし日の石薬師宿の様子を再現した看板。こういったものは街道ウォーカーは必見です。
こちらは本陣。今でも立派な家構えです。
ここも本陣のようです。どちらも小澤本陣。道をまたいで敷地があったのか、場所が変わったのか。謎ですね。
石薬師町出身でタイムレコーダー業界の偉人、天野翁の記念館です。
パッと見は民家。
これが佐佐木信綱記念館。ここいらで一番立派な建築でしょうか。豪華ですね。
記念館の先に宿場の看板。かなり新しいですね。
看板の向こうのお寺が噂の石薬師寺かと思いましたが、違いました。
お寺は浄福寺。幼稚園併設。
道の途中で、鈴鹿農協石薬師支店を発見。
別の看板では、JA鈴鹿でした。
浄福寺からしばし進むと、旧道は国道1号のまたぐ陸橋になります。
その先に大本命の石薬師寺。ひっそりとたたずんでいます。
江戸時代はこんな模様、ある程度面影があるかも。
石薬師の一里塚。石灯籠は常夜灯かと思いきや、町内安全の文字が。
一里塚の解説もあります。
石薬師宿も終わりに近づいてきました。写真左端には信綱かるたの看板。どこまで続いているのでしょう。
看板に従い、庄野宿へと向かいます。
しばらく農地沿いの道をひたすら進みます。
何にもないですが、静かでいいですね。
国道1号に合流。道路看板で逆光を防いでみましたが、残念ながら好い画は撮れませんでした。
畑の向こうに国鉄関西本線が見えます。あれに乗って帰る予定。
到着、加佐登交差点。
この交差点を曲がると、庄野の宿場。
この宿場ではいったい何が待ち受けているのか。
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次回予告:信綱かるたの追撃を振り切り、庄野の宿場にやってきた一行。庄野で雨に降られる?