第45宿場「庄野」の章 | ||
撮影日 | 2016年4月23日 | |
サポート隊員 | 人力号 | |
三重県鈴鹿市 | ||
あらすじ:エチゴ氏が信綱カルタの猛攻を越えた後は修羅師匠が登場 |
||
![]() |
アクセスは前日のラストエコー号+名古屋からのファイナル亀山行きを利用して午前1時に亀山着。 亀山にて4時間ほど睡眠をとり午前6時に加佐登駅に電車にて戻る。 関西本線の駅の小ささに驚く。 |
|
![]() |
一時間に1本しか電車が来ない場合も・・・。 | |
![]() |
気を取り直して庄野宿に向います。 | |
![]() |
ここから先が庄野宿。 実は我輩三重県に来るのは初めてなんです。 |
|
![]() |
庄野宿の観光案内が出ていました |
|
![]() |
||
![]() |
ここが入口です。 しかし、眠い・・・。 部活の早朝練習の高校生と新聞配達のバイクぐらいしかすれ違いませんね。 雨は降っていません。 |
|
![]() |
早朝の庄野を観光します。 | |
![]() |
中々に東海道してますね。 | |
![]() |
総合結婚式場は鈴鹿グランドホテルへ・・・。 と書いてあります。 当然今は無いホテルですね。 鈴鹿市平田新町2-11にあったとか。 |
|
![]() |
鈴鹿市指定建造物の小林さんのおうちです。 | |
![]() |
道幅は狭いまま、江戸時代の規格なのでしょう。 | |
![]() |
これが庄野宿本陣跡。 庄野の集落センターとなっていました。 |
|
![]() |
距離の原票も建っていました。 | |
![]() |
ここは庄野町 | |
![]() |
いい味出している古さの建物です。 | |
![]() |
ここで庄野宿終わりました。 | |
![]() |
東海道はこの先区画整理で分断中。 | |
![]() |
あの道路の向こうとか。 | |
![]() |
こういう看板が一時代前的でいいですね。 | |
![]() |
明け方の地方の田んぼ道を進む・・・。 贅沢な時間の過ごし方かもしれません。 |
|
![]() |
とはいえ、半ば苦行ですが・・・。 | |
![]() |
この曲線が街道らしくていいです。 | |
![]() |
「これより東神」というふうに読めます。 | |
![]() |
トラックの基地もあります。 | |
![]() |
中富田一里塚 日本橋まで400kmぐらいです。 |
|
![]() |
良い鐘ですなあ。 | |
![]() |
道は狭いまま。 | |
![]() |
式内川俣神社 | |
![]() |
安楽川を渡河します。 朝錬中学生からは不審者ですな。 |
|
![]() |
川って面白い。 | |
![]() |
対岸の泉町にきた。 | |
![]() |
古びた看板がまたいいですね。 | |
![]() |
この道にもコミュニティバスが走っているとか。 | |
![]() |
牛乳屋さんも何とか営業しているようです。 「張り紙には店主体調不良のためしばらく休みます。」 その後お店は復帰できたのでしょうか? |
|
![]() |
楽しい東海道の早朝旅。 | |
![]() |
花壇にも案内が。 | |
![]() |
路地を抜けて。 | |
![]() |
踏み切りを渡って。 | |
三重県亀山市 | ||
![]() |
線路を越える。 今日の東海道は中々にローカルです。 さりげなく亀山市に入ります。 |
|
![]() |
井田川駅へ | |
![]() |
ここが井田川駅です。 ただいま午前7時 |
|
![]() |
ここには景行天皇の皇子ヤマトタケルの墓があるとのことです。 | |
![]() |
井田川小学校跡には二宮尊徳の石造が取り残されてます。 | |
![]() |
国道一号線は朝でもすごい交通量。 | |
![]() |
なんにせよ亀山方面へ向います。 | |
![]() |
河合橋を通過。 | |
![]() |
何故かポストが取り残され | |
![]() |
日産の取り残されたお店が・・。 | |
![]() |
そして坂を上り「・・。 | |
![]() |
お寺を越えて。 | |
![]() |
和田一里塚跡に到着。 | |
![]() |
説明を読んで・・・。 これで朝飯前の東海道はおしまい。 亀山のホテルにいったん戻り、朝食をたらふく食べます。 |
|
第44宿石薬師に戻る | 東海道宿駅一覧表 | 第46宿亀山へ進む |
次回予告:亀山はさりげなく城下町 |