第2宿場川崎の章 | ||
撮影日 | 2013年2月11日 | |
サポート隊員 | お兄ちゃん | |
神奈川県川崎市川崎区 | ||
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川崎市に舞い戻って旅は再会! 最寄の駅は「川崎駅」です。 |
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川崎宿の宗三寺には遊女の墓があるらしいですな。 これが歓楽街川崎の歴史。 |
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川崎宿に来ると看板もありますね。 生きた化石のような宿場跡地のとおり |
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こんな感じですじゃ。 | |
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郵便ポストもこんな古いものが! 街道歩いていると、珍しくありませんが、これはこれで貴重。 |
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旧東海道 いさご通りを歩きます。 |
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川崎の歴史ガイドがありました。ウンいいね! | |
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駅前大通を横切って東海道は進みます。 | |
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これ芭蕉の句碑 | |
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むぎのほを たよりにつかむ わかれかな お弟子さんはここまで送ってきてくれたみたいですが、芭蕉は旅を進めました。 それは二度と江戸に戻ることの無い旅でした。 |
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ここはいわゆる、京急「八丁畷」駅でやんす。 | |
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商店街もあります。 | |
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京急線はとても駅が多い鉄道ですが、急行電車ここを凄まじいスピードで通り抜けます。かなり怖いですよ。 踏切が危険なので警備員のおじさんが立っていますね。 |
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川崎の東海道の史跡を色々教えてくれます。 | |
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上は南武線の高架です。 | |
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ここにはたくさんの人骨が出てきたのこと。 なんでも江戸時代の火事や震災で亡くなった人がここに集団埋葬されていたとのこと。 |
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旧東海道はこの辺も二車線ですな。 都心からだいぶ歩いてきたので、田舎くささがそろそろ出てきました。 |
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熊野神社に立ち寄りました。 意外にも廃神社のような状況? |
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残念なことに 「日露戦争出征の碑」 明治42年建立の碑は打ち捨てられていました。 軍国的な内容と判断されたのでしょうか? 結構残念ですな。 |
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神奈川県横浜市鶴見区 | ||
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そして、川崎にグッバイ! 横浜にこんにちは。 「鶴見川橋」を渡河します。 しかし、小さい橋ですな。 |
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ここには横浜開港時に外国人の安全を守るために番所を設けて、日本人の中で駐留の外国人を護ったとの事です。 | |
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旧東海道鶴見橋の碑を見て、お兄ちゃん氏大喜び! 何でも高校生に歴史を教えるプロのようですが、実際に現地に行かないとのこと。 己の自己研修に丁度いいとの事でした。 |
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ちなみに海抜1.5mです。 津波の時はすぐに逃げましょう。 |
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ここは有名な鶴見村の信楽茶屋のあと | |
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現在はラーメン屋と化しています。 ここで腹減ったので一服。 |
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鶴見神社でおみくじスト「お兄ちゃん氏」運試しに挑戦していました。 | |
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ここがJR「鶴見駅」中々に大きい駅ですな。 新幹線の止まらない地方都市の駅と思ってくれればいいでしょう。 |
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歩いていると「生麦事件の碑」を発見! | |
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お兄ちゃんも大喜びですな。 景色は普通の住宅街 |
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地名も未だに生麦ですね。 | |
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ここにはキリンビールの工場が! | |
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即試飲・・・ そして旅進まず。 |
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生麦事件の碑の本体は高速道路の工事でただいま仮移転中。 ※2020年現在工事完了済み。 |
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横浜環状線と港北がつながるらしい。 ここは海岸沿いだけど、道路はベイブリッジに進みます。 |
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国道15号線に戻ってきたよ。 やはり平成の幹線道路は交通量が多いね。 |
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次回予告:間も無く神奈川宿(横浜)到着でもみなと地区じゃないからね。 |