石和〜甲府の章(山梨県笛吹市石和町〜山梨県甲府市酒折)
お休みしていた甲州街道ウォークは笛吹市石和町から再スタート本日は甲府駅までのコースをたどります。
宿駅的には石和〜甲府柳町です。本日はサポート隊員無し。
笛吹警察署の信号です。この日はいい陽気でした。果たしてこの旅はH18年度中に終わることが出来るのでしょうか?
このあたりの旧甲州街道は国道411号線(大菩薩ライン)といいます。
道路看板は甲府まであとわずかという距離です。何せ向かいの甲運橋を渡ればそこは笛吹石和から甲府市ですから。
因みに国道20号線は左折して1kmほど南にあります。
This is 甲運橋。私の推定ではこの橋こそが日本橋から131kmポイントと考えています。大した橋ではありません。
甲運橋から北、石和温泉駅方面を見た図。
下を流れるのは平等川です。
河を渡河すると、「ここまで石和温泉郷」という看板があります。長かった笛吹市の旅は終わりを告げます。
橋のたもとにはこのような石碑あり、「左:甲運橋、甲府、身延」と書いてあります。この甲運橋は甲府と笛吹をつなぐ重要な橋だったようです。
おそらく明治以降、村の紛争が絶えなかったようですな。
逆光になっていますが甲運橋を甲府から石和方面を見た図。左の木のところに石碑があります。
どうやら洪水被害と関係があるようです。
そんな甲運橋の甲府側に水準点を発見!
どうもここが日本橋から131kmの地点ではないかと思われます。
日本橋の碑が建立された当時は411大菩薩ラインが国道20号線でしたから。
甲府に入るとすぐに高級マンションサンコーレ甲運という建物が、マンションに温泉が湧いています。玄関に温泉の噴水があります。
写真は筆者が温泉に触っている図。
開拓の関係の石碑です。つぶれたパチンコ屋に建っているのが泣けます。このパチンコ屋はかつては庄屋さんの家だったのでしょうか?
電信柱のはるか向こう側にうっすらと南アルプスが見えます。もちろんあの頂も南アルプス市です。
はるか昔何らかの店だったようですが、今はつぶれて自動販売機しか残っていません。
このエリアは寂れゾーンです。
県立勤労青年センターです。サッカーしたりプールで泳いだりと県民の憩いの場です。
勤労青年センターの駐車場。
写真は甲府川田町の由来についての碑。
武田信玄の親戚が住んでいてこうなったという説明がありますがペンキが剥げていてイマイチ分かりません。
曹洞宗医王山東勝寺というお寺です。徳川家の石塔を持ってきているらしいです。実は江戸期の甲州街道はこの寺の前の小道と地元の人がいっていました。
街道の風景はこんな感じです。お金持ちの蔵が目立つようですね。実際車通りが結構ありますが、お店はほとんどありません。
バス乗り場「甲運小学校入り口」by山梨交通。
杭には和戸町の由来は平安時代の表門の郷(ウワトノゴウ)からきたもので近所には古墳が多いとのことです。
金鍔が名物の東治郎花菓亭とのこと、入らないでスルーしましたが、甲州街道沿いには和菓子屋さんが多いような気がしますね。
山梨英和大学に入る信号(横根跨線橋南)です。この信号の先は横根という地名です。
マック、ブックオフ、ファミレス(ロイヤルホスト)と最近出来たお店がちらほらと。
山梨県に本社のあるシャトレーゼのレストランです。お昼のバイキングはとってもリーズナブル。ランチバイキング997円也。
シャトレーゼ向かいには薪を集めながら勉強した二宮尊徳の石像があります。この方は子供の頃の像が多いのに大人になってからの像が少ないですね。
つまり大人になってからはどうでもいいと。大人は勉強しなくて良いよと言う逆説的な証明になっています。
十郎大橋を渡るとそびえ立つのがこの建物!「○の風,風力3」周りを威圧するこの迫力は長野県安曇野市(旧豊科)のア○トロと良い勝負。
そんなホテルの脇から見える南アルプスの美しいこと。
「第4青梅街道踏切」です!新宿伊勢丹デパート前「追分」信号でお別れした青梅街道に本当に久しぶりの開会を果たしました。
涙無しには語れません。
青梅街道との合流は「茉莉支天」という神社の前です。
そして、合流交差点の山崎の信号です。青梅街道との合流のこの場所は地元の方の話だと「首切り場」が併設されていたのこと。まさに血に塗られた街道甲州街道ですな。
これがその処刑場の跡地です。現在碑が建っています。とてもかわいそうですね。
処刑場の碑はこんな民家の中にあります。近所の子持ちのお姉さんに聴いたところここは甲府の町と石和の町の丁度間でなにもなかったトワイライトゾーンだったとのこと、処刑場から向こうが甲府のエリアと考えられていたようです。だから青梅街道との分岐があるんですね。
道の分かれ=この世とあの世の間=処刑場というわけですね。
そうこうしているうちに、山梨学院大前に到着。駅伝も強く、経営も上手な山梨の私立大学です。
ここ酒折は日本武尊が東国遠征時に連歌をはじめたので、日本の連歌の発祥の地となっています。
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