日野多摩川渡しの章(東京都日野市) | ||
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多摩都市モノレール「万願寺駅」に到着いたしました。 本日の甲州街道紀行は日野市 早速アニメチックな車内のマナー啓発ポスターが!(アキバ系) |
本日のサポート隊員は「Mr超過勤務」 ここは万願寺駅の近所の石田地区。「超勤」が読んでいるのは甲州街道の一里塚のあとの説明。写真の先は甲府方面ですが家が建っていていますね。 |
こちらが江戸方面です。こちら側も家が建っているのであっという間に行き止まり。 男塾なら壁を乗り越えてでも旧甲州街道を江戸に向かうところですね。(^^;) |
一里塚とはこのように一里ごとに小山が作られその上に松の木など日よけになるものが植わっていたとのこと。 | そしてこのような小山が街道の両側「上り」「下り」両方面に2個造られていたのです。 | やはり石碑の一里塚跡とは迫力が違いますね。甲州街道沿線では一里塚跡があるのは日野市だけですね。 |
中央自動車道と多摩川です。対岸の府中市からここまで江戸時代は船でわたっていました。かつては鮎つりと江戸に鮎を運ぶ鯔背な職業「鮎担ぎの」あんちゃん達が活躍していました。 | ここが万願寺の渡し場です。明け方出発した、鮎担ぎのあんちゃんは江戸に鮎を売りに行き、夕方帰ってくる際に調布や府中で稼いだ金をお姉ちゃんと遊ぶために使っていたという話は有名ですね。 | 江戸の中期以降は甲州道中の渡しは上流に移動して今の「立日橋」あたりに移動しました。一番有名な船着き場はここの日野の渡しです。 現在では多摩都市モノレールが走っていますね。 |
日野の渡しの説明です。説明によると多摩川の渡しは万願寺→石田→日野の順に変わっていったようです。日野の渡しが廃止されたのは大正15年(1926)年というから廃止から80年しか経っていないということですね。 | 日野の渡しから宿場に向かうとお馬ちゃんのお墓があります。かつての甲州街道では多くのお馬ちゃんが人間同様行き倒れしていたのでしょう。 今だったら自動車の供養をするべき。 |
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