蔦木宿の章(長野県諏訪郡富士見町) | |||
さて半年前からの続き、山梨県北杜市白州町の国界のコンビニからスタートです。 信濃毎日新聞 山梨日日新聞が同時に手にはいるのは世界でこの場所とあと一つしかありません。 半年前と同じ構図で一枚 |
本日のサポート隊員はエチゴ氏。 西甲州街道はこの方にお任せですよ。 まずお茶を購入します。 |
さらば山梨県北杜市これから我らは長野県に入りますよ。 | こちらは国道の新国界橋 |
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こちらは廃棄された旧国界橋。 エチゴ氏渡河しようとするも、防獣ネットに断念。 |
旧国界橋は昭和4年に架けられたとのこと、今は通れません | エチゴ氏、新国界橋を渡河して長野県に入ります。 ついに旅は最後の県長野編に突入です |
長野県側には防獣ネットが張られています。 山梨側から鹿とか入れないようになっていますね。 |
エチゴ氏ドライブイン国界で大喜び、ここは長野県ですが山梨県のおいしいラーメン屋さんとして表彰されています。 | エチゴ氏信号を渡ろうと試みます。 戻れば山梨県北杜市白州町 |
旧甲州街道はどうもこのがけの上を通っていたようですね | どこかの名門の一家の住んでいた址のようです。今は碑だけ残っていますね。 |
何でも疫病が流行ったあと日蓮上人が来て祈ったらしいですよ。 | それがこの岩の上で何日か祈り続けていたのだから凄いですね。 | 牛さんも我々を歓迎しているようですが。微妙? | ここから甲州街道と武川逸見筋との分岐点とのことです。 |
下蔦木集落センターくつろぐ国分寺元帥 | 立派なお寺で休息をとります。 | ここはフジアザミの群生地らしいです。でもこの季節は花が咲いていませんでした。 | みんなにきれいに甲州道中。 と看板には書いてありますよ。 |
総括すると、山梨県編が終わって長野県(信州編)がスタート。 いきなり灼熱地獄のこの紀行。 一行はゴールすることが出来るのでしょうか? |
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古道の庚申塔です。ここは古い道なんですね。 | ここでは古代米を栽培していました、エチゴ氏大喜び。 | 古代米の田圃はきれいですね。 | |
蔦木宿突入編(長野県諏訪郡富士見町) | |||
暑い日です。やっと甲州街道蔦木宿に突入しました。 有り難いことに看板があるのでよく分かりますね。江戸より43番目らしいです。 |
甲州街道蔦木宿の元宿こく屋です。 | こちらは木地屋です。 | このように看板だけ残っている寂しい元宿もありますね。 |
蔦木宿説明の看板です。 何でも区画整理があったとのこと。 エチゴ氏ことスッパリ九兵衛が写っていますね。 |
蔦木宿の中に紛れるエチゴ氏 | 三光寺なるお寺です。結構立派。 | 遙か遠くまで続く甲州街道の様子。蔦木宿と初夏の情景がイイですね。 |
蔦木簡易郵便局でし。赤いポストが郵政の証。 | かつての旅籠がどうなっているのか、覗いてみるとこんな大変なことになっていました。 もうちょっと観光できる博物館的なものも用意してくれるとうれしいね。 |
アルピコ諏訪バス「上蔦木」バス停。 エチゴ氏分析中です |
明治時代の旅籠「べっこう屋」です。 古いものが多く残っていますよ。 |
ここは蔦木本陣「大阪屋」 | 門が立派です「大阪屋」拡大図 | この説明によると門は復元のものらしいですね。 でも雰囲気はいいです。 |
明治大帝がここで休んだとのこと、明治天皇伝説恐るべし。 蔦木本陣跡 |
旅籠「柏屋」跡地はただの空き地 | 国道20号線と素晴らしい街道筋ですね。 | 素晴らしいわき水七里が岩の麓からでた明治天皇も喜んだ水のようです。 | これは、とてもじゃないけど天皇どころか将軍様も遠慮。 アイコ様の水遊びには使えるかも。 |
腹が減ってお店にきましたが、売っているのは種だけ・・・。 | 明治7年はここに蔦木学校なる教育機関があったとのこと。 今は何もなし・・・・。 |
ガソリンスタンドも廃墟。 さすが甲州街道のドムドーラ。 |
道の向こうに寂しくたたずむ石碑が良いですね。 |
エチゴ氏と石和将軍東京から175kmポスト富士見町上蔦木で記念撮影。ズバリ暑いです。 | |||
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